『漫画家名鑑2』日本漫画学院(木村忠夫編) 1990年 アース出版局

 今回は、レディースコミックで活躍中の河あきら先生を訪問いたしました。
先生は昭和44年「サチコの子犬」を『別冊マーガレット』に発表し、プロとして本格的にデビュー。以後『別冊マーガレット』を中心に活躍を続け、3年前フリー作家となり現在に至る。人形収集と旅行が趣味。代表作「いらかの波」「あなたは笑うよ」「山河あり」など多数。

木村 ペンネームの由来をお聞かせください。
 漫画家として大きく伸びたいので、それには本名の小川より「河」の方がおおきいからです。
木村 漫画を描くきっかけは何かありましたか。
 高1の時、石丿森章太郎先生の『マンガ家入門』を読んで、私も描いてみようと思ったのです。続いて『続マンガ家入門』が出版され、その中に、石丿森先生にファンレターを出すコーナーがあったのです。さっそく私も出したら、それが石丿森先生のところに出入りしている同人誌をやっていた男の子たちの目にとまって、その同人誌に誘われ、そのサークルに参加して本格的に描き始めたのです。
木村 その同人誌の活動内容は。
 肉筆回覧誌で、2ヶ月に1回の割で回覧してました。作品の後に白紙のページを数枚作っておいて、会員たちがそれぞれ自分の思ったことを書きます。あとでその批評を読ませてもらって次回作への参考にしたのです。
木村 初めて作品が印刷になったのはいつですか。
 当時『COM』という虫プロ発行の本がありまして、8ページ物を投稿して掲載されました。あの時は最高に嬉しかったですね。
木村 本格的なデビューは。
 『COM』に作品が掲載されたのが高3の夏でした。そのことが自信となって、プロになれるかどうかわからないけど全力をつくして目指してみようと考えたのです。高3の冬、『別冊マーガレット』に16ページを投稿したら、幸運なことに漫画スクールの金賞に入りました。その受賞作品が「河あきら」って筆名だけで本名は書かなかったんです。編集者の方では男性にしては少女漫画がうまいんじゃないかと思いこんで“電話せよ”との電報が来たのです。電話の私の声を聞いたら編集者の第一声が「えっ、あなた女の方だったんですか!」(笑)。その時にはすでに紙面の発表欄に“男性にしては…”という批評が印刷されていたんです。別にだますつもりはなかったんですけどね。
木村 ご両親の反対はありませんでしたか。
 マスコミの世界にはそう簡単に入れないと、親も学校の先生もかなり反対でしたが、親に「1年間遊ばせてくれ」という条件を出したのです。うまい具合に高校卒業の頃、金賞の作品が別マに掲載されて、プロとしてデビューしたので、親も一応は安心したようですね。
 その後、上京して、忠津陽子さんと大和和紀さんのアシスタントをかけもちしながら作品を描いていました。でもなかなか編集部に気に入られる物語が出来なくて、見離された感じがとなりなんとなく落ち込んでいたんです。そこで、気分転換に『COM』に出してみようと16ページ物を一作描いていたんですが、偶然に別マで一作分穴があいて、“何か描いているものがあったら持ってきなさい”と連絡があり、『COM』用の作品を持っていくとOKが出て掲載されたのです。それからは順調に作品を発表できました。
木村 漫画家生活でつらかったことはどんなときでしたか。
 4年間続いた長編「いらかの波」を描いていた時ですね。その作品は登場人物が1年経てばひとつ年をとるという普通の生活にあわせたものなのですが。ところが、キャラクターの固定されたイメージをなかなか変えられないのです。主人公が中学生の時開始したのが高校になっても同じ顔だし身長も伸びない。内容的にも、主人公をどう成長させたらいいのかわからなかったですね。
木村 逆に嬉しかったことは。
 やはり「いらかの波」を描き始めの頃なのですが、登場人物が自分にとって新鮮なキャラだったので、ホロリとさせるシーンとコミカルなシーンのコントラストを楽しんでいました。初めて自分の単行本が出た時も嬉しかったですね。

漫才のボケとツッコミの要領でリズミカルな会話を

木村
 先生の作品はテンポがコミカルですね。
河 普通の会話では飽きますから、漫才のボケとつっこみの要領で、リズミカルな会話を心掛けています。
木村 
ストーリーで大切にしているところはどこでしょうか。
河 
悪意が表面に出たものは嫌ですね。登場人物が主人公に対して理解する部分を出すよう心がけています。人間の交流がうまくいっているカラッと世界を描きたいです。
木村 
先生の作品の作り方を教えて下さい。
河 
歌のフレーズに気に入ったものがあると書きとめたり、TVドラマでも見ながら、私ならこう展開させるとか考えたりします。つまり、シーンをバラバラにつくっといて、それを最初から順に組合せていくという方法です。
木村 
先生の目から見て現在の新人はいかがですか。
 今の人たちの方が漫画以外の社会とつながりを持っている人が多くて、それぞれ自分の生きている世界に密着した世界を描いてますよね。
 すぐ消えてしまう人は器用すぎるんです。音楽の世界でも活躍すれば、絵も描くという、タレント性を持っている人が多いみたいですね。そのことがかえって一作で消えてしまうのかも知れません。
木村 これから描きたいものはありますか。
 今、すごく自由にやらせてもらってますから、この状態が続くといいですね。今後もやっぱり、ギャグっぽい話を描きたいのです。シリアスなものを描いたとしても、笑いの中でそれを出していくという形でやって行きたいですね。
木村 漫画家志望者にアドバイスをお願いします。
 とにかく、何枚も何枚も描いていくことですね。私は高校時代、美術クラブに入ってまして、木炭デッサンをやったり、通信教育でレタリングやってましたが、それが今役立っています。うまい作品を見て、どうしたらこんな風に色が塗れたり、きれいに描いたりできるのだろうと何回もやってみることです。そのうちに自分なりのやり方が出来てきます。目標さえ決まっていれば進むのはそんなに難しくないと思いますけど。(1984年9月)

●名前(本名とペンネーム) 小川まり子、河あきら
●出身地 千葉県東金市
●生年月日・星座 1950年7月8日・かに座
●血液型 A型かO型(?)
●きょうだいは 2人姉妹、2番目
●趣味は 出歩くこと(買い物、観劇、旅行)
●好きな食物は 菓子類、くだもの
●嫌いな食物は シーフード、野菜
●得意な学科は 国語、美術
●嫌いな学科は 理数系
●思い出深い映画は 洋画では「ひまわり」、イブ・モンタンの「恐怖の報酬」、邦画では「約束」……好き嫌いは別にして
●好きな言葉(座右の銘) “GOING MY WAY”
●健康法は何ですか 犬の散歩
●ご自分の性格を一言でいうと 多重人格
●外国旅行で行きたいところは 北欧、カナダ
●いま一番やりたいことは 極寒地ヘの旅行
●もし漫画家になっていなければ何になっていたと思いますか 社会不適合者
◆主な作品 「山河あり」「いらかの波」「すでにもう善人」「ジャングルナイト」

(原文まま)