『毎日新聞』1979年8月15日朝刊


コミック世代からのメッセージ
 「性格をモロに受けついじゃった」
 人間嫌いとコメディーの資質で父娘トンビは、いま翔びあがる。

「ボクは大工になりたい」、ただそれだけで、橘薫る5月の、『いらかの波』の、さわやかで自由闊達な世界がひらけていく。
お菓子の好きな子供が、成人してお菓子作りの職人になるように、漫画の好きな彼女は漫画家になった。午前2時に起きて牛乳配達に出かける前に彼女を起こして漫画を描かせてくれた彼女の父は、エリートなんかじゃなかった。
親子の断絶、家庭の崩壊ということが彼女には信じられない。エリートの親とエリートを目ざす子が断絶し、何不自由ない家庭が崩壊していくという不自然なことが。

夏休みの間、一歩も外へ出なかったことも…
 
午前2時に起きて暁闇の町を牛乳配達して回った父は、朝食をとると2時間ほど昼寝(朝寝)してまた出かけ、午後6時に帰ってくる。それからふとんを敷いて晩酌をちびりちびりやりながらゆっくりと夕食をとり、午後10時には眠りにつく。「人とつき合うのが嫌いなタチで、いつも自分の中に閉じこもり、頭の中であれこれもの思いにふけっては自分で答えを出す、そんな性格でしたから、お酒が入るとふだんは表に出せないことが出てくる。子供の私を枕元に正座させて“もっと勉強せにゃいかん”なんてのたまうんです。漫画家になるのは初めは反対していました」
 頑固で、依怙地で、しかし他人には腰の低い(「インギン無礼というんでしょうね」)父の性格を「モロに受けついじゃって」、彼女もまた変わった子だった。
 部屋にひきこもって、瀬戸物の小さい動物のおもちゃを並べて、ただじぃーっと眺めている。頭の中でそれらの動物たちに話をさせ、動かしているのである。「ハタから見ればただ黙って眺めているだけですから気味悪かったでしょうね。時々ニヤッと笑ったりして」。部屋に閉じ込もったまま夏休みの間、一歩も外へ出ないなんてこともあった。
 漫画は中学3年になるまで自由には読めなかった。父ではなく、姉が目を光らせていたから。4つ違いの姉は「陽気な母の方の性格を受けついで、しかも優等生だったから、漫画なんかいけないものとアタマからきめてかかって、私の手からとり上げてしまうんです」

肉親の情というより友情みたいなもの
 
引っ込み思案で、無口で、めったに笑わない子だった。「父の血を濃く受けていたから、父も自分のミニチュア・サイズを見ているようでイヤだったでしょう。私を叱っても自分を叱っているような感じだったんじゃないですか」
 いまの河あきらが父を語るとき、なぜかとても楽しそうなのだ。肉親の情というより、友情みたいなもの。変わり者同士の愛憎の歳月が育んだ奇妙な父と子の友情。
「高校に入って『コム』という雑誌に投稿した漫画がボツになって送り返されてきたとき、父が“見せろ”と言うんです。また怒られるのかなと思っていたら、ひと晩その原稿をかかえ込んで返してくれない。翌朝、便せん2枚にびっしり書き込んだのを渡すので読むと、私の漫画のキャラクターはそのままで状況を変えて別のストーリーを作ってあるんです。“こんなふうにしたらどうだ”なんて。そのとおり漫画を描き変えて送ったら、そのまま採用されました、ハハ…」「それで公認されたわけではないのですが、高3のとき8ページの短編が雑誌に印刷されて載ったら、娘の名前が活字になるのにはヨワいらしくて、以後何もいわなくなりました」
 60を過ぎたいまも牛乳配達を続けている。「本を読むのが好きな人でね。外国旅行をした人と話していても、行ったことのない父の方があちらの土地に詳しくて、またそれをこうだああだとしゃべるものだから、相手はシラけて帰っていったり…」「系統だった読書ではなく、メチャクチャな乱読です。晩酌をやりながら読む。市の図書館に日参して2、3冊借りてくるんです。市から表彰されましたよ。何を、って?あなたはよく通いましたっていうことじゃないかしら」
 母は編物に手マリ、木目込人形などの手芸が得意。趣味と実益を兼ねる。東金の近郊の農家の「1ダースほどもいるきょうだいの長女に生まれたので、学校もロクに出ずに働きに出て」、東京でメイドをやっているとき、当時亀戸に住んでいた父と結婚、東京大空襲で焼け出されて、戦後は二人で東金に住みついた。「天真ランマンの人でね。誰からも好かれる性格はそっくり姉の方に行っちゃった。父はあのとおり頑固だから若い時は母の方が自分を押さえてやってきたようだけど、父が年とって気が弱くやさしくなったので、母の方が盛り返してきたみたい。あの二人、おもしろいですよ。カワイイっていうのかな」

大掃除の時、父と母の愛の手紙がどさっと
 
少女漫画家として一流の仲間に入り、代表作となる『いらかの波』の第1部が終わったとき、ふと、父と母の若いころをモデルにした戦争ものが描いてみたくなった。
「小学校6年のとき家で大掃除やっていたら、どさっと葉書の束が出てきたんです。戦争中に二人が交わした愛の手紙なんですね。結婚して間もなく父が召集になって彦根の連隊に入った。二人が別れるとき、すごくキザなんですけど、オリオン座の三つ星、あれを二人の星にして、毎日時間を決めて二人で同時に同じ星を眺めようと誓い合ったんですって。かなりキザなんですよねェ。父は外地に行かされるのがイヤで仮病をいろいろ使って逃げ回っていたらしい。ムリに痔(じ)になったりして。生き残るための努力をかなりしたみたい。母は母で、ドイツ人の家庭のメイドをしていたんですが、戦時中は、日本人にはアメリカ人もドイツ人も同じ毛唐に見えたらしくて、石を投げられたりかなり迫害されて、たまらずに日本人家庭のお手伝いさんにクラ替えしました。そういったことどもを戦争という大きな流れの中で描いてみたかった。ええ、厭戦気分とか人種差別とか。でもページが足りなくて本格的な戦争物には仕上げられなかった。『山河あり』という題です」
 戦後の二人は、生活が苦しく「若さもあってときには取っ組み合いのケンカをするほど」仲が良かったが、上の娘は嫁にいき、下の娘は漫画家になるために東京へ出た。阿佐ケ谷から武蔵境にアパートを移したときは「ああ父とまた距離が遠くなった」と思い、「母はどこにいても安心だけど、父はやっぱり私が引き取ってあげなければ」と考える。お父さんみたいなタイプ好き?と聞かれれば「いやあ、あんなタイプ、疲れますからね」と答える。

けっこう惚れっぽいタチなんですけど…
 29歳になった今もなかなか結婚する気になれないでいる。
「けっこう惚れっぽいタチなんですけど、相手がこっちを振り向いてくれたとたんにあきがきちゃったりして。今までもつきあったり離れたり。私、片思いのときが好き。相手にこっちを向いてもらいたいとすごく努力する時期が好きなんです。スキンシップがあまり好きじゃないもので」
 手を握られると、なにかお芝居をしているようでくすぐったいのだそうだ。父親譲りのミザントロープ(人間嫌い)と、自分をサメた目で見られるコメディー向きの資質と。
 いつも黒っぽい服を着て、サングラスを目から離さない。好きな男はダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童、女は研ナオコ。好きな楽器は聞かなかったが、きっとテナーサックスだろう。
 去年、C県I市に小さな家を買った。父の知り合いの不動産屋の紹介だそうだ。(文中敬称略)

(原文まま)