河先生とお会いしたはなし2。  2003年10月28日

 先日の上京の際、河先生と東京ディズニーランドに遊びに行ってきました。前回お会いしたときは「ディズニーランドを案内したいんだけど締め切り前でハメ外して遊べないから」とお食事会になったので、後日季節がよくなったら是非遊びましょうと言っていただいていた約束が実現したのでした。当日は河先生と私ともうひとり、関東に住んでいる友人Mも参加することになりました。彼女はネット環境にないのでこのHPに来たことはありませんが、小学校時代からの河先生ファン。「私といっしょに行ったら絶対雨は降らない」と自信満々の彼女をてるてる坊主がわりに、秋晴れの空の下、12時間耐久ディズニーランドは幕を開けました。

こち亀『あなたは笑うよ』のはなし。  2003年10月28日

 以前、掲示板で問題になっていたこの話題。先生にお尋ねするとこの事実はご存知でした。結論から言いますと、河先生は秋本治先生とは何のつながりもないのだそうです。強いて思い当たることといえば、秋本治先生のアシスタントさんが一時期河先生の仕事場に手伝いに来られていたことくらい。あの「あなたは笑うよ」という店(喫茶店ではなくジーンズショップらしいのですが)は、その方がお遊びで描かれたんじゃないかということでした。先生ご自身は雑誌にそのシーンが載ったあと人に教えられ、単行本になってから確認したのだとか。しかも旧フォークソング世代の若者が着るようなベルボトムのジーンズなんかを置いている店が描かれていて笑ってしまったと言われてました。当時、女性漫画家には少なかったそういう服装の河先生を面白がって(興味を持って)描いてみたんじゃないかなと言われていました。
 昔、少年雑誌の忘年会などに呼ばれた時期があって、そのときサングラスをかけた似顔絵そっくりのオンナに「河あきらさんですか」と声をかけてきた同業者がいて、考えてみたらその人が秋本治先生だったような気がする、と言われていました。秋本治先生との記憶というのはそのくらいしかないのだそうです。なので、秋本治先生と秋本友紀先生との名前が符合したのはまったくの偶然、ましてや巡査の秋本麗子さんとも無関係なんでしょうねと言われていました。秋本さんつながりでアシスタントさんが使ってみただけなのかもしれませんね。もちろん、秋本治先生には何か思惑がおありだったのかもしれませんけども。

『雪のマフラー』の原作のはなし。  2003年10月28日

 実は、当時原作つきの少女マンガはいくつもあったのだそうです。河先生の場合も『雪のマフラー』の前に『ラブラブ・ゴリラ』『ビバビバ!ビーナス先生』『お泊まりはこちら!』なども原作をもとに描いておられたのだとか。その原作者は“武田武彦”という、今は小説家をしておられる方で、時代怪奇小説なんかを書かれているみたいですね。当時も綴じ込み読み物で別マに掲載されたものがあったそうですから、昔の別マをお持ちの方は目にすることができるかもしれません。あ、田中雅子さんの『赤い狼シリーズ』もこの方が原作だそうです。
 その原作つきのお仕事は、河先生にとってはあまりいい思い出じゃなかったみたいです。当時の編集長さんが、自分が読んで気に入った名作のパクリなんかをやりたがったらしく、木内千鶴子さんの『吹雪に消えた26人』なんかは思いっきり新田次郎の『八甲田山』まんまだったりして、漫画家仲間の間では不満が噴出していたそうです。河先生も『ビバビバ!ビーナス先生』は永井豪先生の『ハレンチ学園』的なお色気ものでコメディを、といわれ、河先生の絵ならいけると話がまわってきたのだとか。その頃は先生もデビューして間がなかったし、言われるように描いていたんですが、何度もつまんない原作(失礼!)をまんがにすることに憤りがあったりして、『雪のマフラー』はかなり反抗して結末等、あちこち脚色して仕上げたと言われていました。「親同士の決めた結婚なんて、今どきねえ!」と河先生は笑っておられました。
 というわけで、何か名作の原作があってそれをコミカライズしたものだとばかり思っていた『雪のマフラー』は、まんが用に作った作品だったことが判明いたしました〜。この原作者の名前、先生も思い出せなかったくらいなので、クイズにしたらきっと誰も解けない難問になっていたことでしょう。

ほーりゅーチャンの本のモデルのはなし。  2003年10月28日

 あさがおさんが気にされていたほーりゅーチャンの本、ミナさんが作家になるきっかけになった運命の本ですが、河先生にとってそういう作品があったのかどうかお聞きしました。まんが家になるきっかけというのはもちろん石ノ森先生の「まんが家入門」なのですが、感銘を受けてこんな作品を書きたいと思うような具体的な作品はないのだそうです。河先生にとって大きな目標になった先生は水野英子先生やわたなべまさこ先生だとか。どの作品というのではなくて、その作家さんの生み出される作品全般が創作意欲をかきたて目指す目標となったようです。
 ほーりゅーチャンといえばオランダの美術館でミナさんたちがほーりゅーチャンに遭遇したシーン、あれは河先生が旅行していた先でアラーキー氏(写真家の荒木経惟氏)を見かけたのがホントのところなのだとか。テレビカメラがまわる中、金髪美女をまわりにはべらせていた、というのがもとネタみたいです。ただ、先生はその写真家があまり好きではないとかで、彼がいる場所は避けて見学していたそうです。もちろんアラーキー氏が「奇遇ぢゃの〜!」と声をかけてくることもなかったのでしょうね(^.^)。
 ついでに名のない編集サンのモデルについてもお聞きしました。彼は過去の担当さん4〜5人がミックスされているそうです。ミナさん連載時、河先生の担当は編集長さんだったため、その方がいちばん色濃く反映してるかも、とおっしゃってました。…作家の生活パターンや個性を充分把握していてあけすけにものを言っちゃう担当さん、お会いしてみたい〜。

別マは読み切り!のはなし。  2003年10月28日

 別冊マーガレットは、全作品読み切り!というのが売りの雑誌でした。というのも、もともと当時の別マの編集長さんというのがとても保守的な方で「オンナはバカだから前の月に読んだ話を覚えているわけがない」というのが持論だったのだとか(まったく失礼な話でしょ!と河先生はあきれておりました)。連載だけでなく、何か目新しいことをしようもんならさっさと首を切られたり没にされたりということもザラだったそうです。表紙の“赤い地に金文字のタイトル”というデザインも「女の子はこういうのが好きなんだ!」と譲らないほど、古い上に頭の堅い方だったとか。そんな堅い頭だから、河先生の絵柄ならコメディ!とこれも決めてかかって、シリアスモノを描かせてくれなかったのだそうです。
 そういう編集部の意向に反発した編集者が創設したのが「白泉社」。その編集者たちが別マの人気作家をごっそりそっちに連れて行ってしまって、河先生は乗り遅れたのだそうです。気がついたらみんないなくなって私しかいなかった、と。ここで河先生が白泉社に行ってしまったらマジでヤバイ、と焦った集英社は、先生の「シリアスも描かせて」という条件をしぶしぶ呑んだのだそうです。それで誕生したのが『赤き血のしるし』。これが編集部の意に反して好評で、BAD AGEシリーズとして定着するようになったんですね。その後、契約の更新時に他の作家さんといっしょに「連載をやらせてくれなきゃ契約しない」と運動をして、やっと連載ができるようになった。それからしばらくして『故国の歌は聞こえない』が始まったそうです。河先生はけっこう別マの分岐点にしっかり立ち会っていらっしゃったのですね。
少女の夢を紡ぐ裏で、いろいろあったんですねえ〜。

晩ご飯とイサキちゃんのはなし。  2003年10月28日

 スペースマウンテンで絶叫したあと、エレクトリカルパレードまでの空き時間を利用して食事に出ました。舞浜の駅にあるイクスピアリというショッピングモールまで足をのばし、アジアンフードのお店に入りました。焼き鳥だのビーフンだのいろいろ食べたのですが、中でひとつトピックスが。
 席に着くとウエイターさんが「メニューには書いていないのですが、オススメ料理に“イサキの唐揚げ”がありますが…」。とたんにみんなで色めき立って「イサキちゃん!?」「先生!イサキちゃんですよ!」「イサキちゃん食いましょう!」と大騒ぎ。あげくに事情を知らないウエイターさんがお皿を運んできた際に「イサキちゃんでございます」だって。こういうつながりのメンバーで、予約もしていない行き当たりばったりのお店で、メニューにないオススメ料理がイサキちゃん!この偶然はなんでしょう!と大笑いいたしました。
 この騒ぎのついでにお聞きしたのはイサキちゃんの名前の由来。前にもどこかで書いたような気がするんですが、なぜお魚の名前なんだろう?お父さんが漁師さんなんだろうか?と気になっておりました。以前調べたところではイサキって決してキレイな魚ではないんですね。で、先生のお返事は「う〜ん、べつに〜。まあ、目が大きくて金魚みたいだったから」…たしかにイサキは目のでかい魚ですが、先生、イサキは金魚じゃありませんよ〜。あ、でも稚魚はきらきら光ってキレイかな。

みやちゃんと実年齢のはなし。  2003年10月28日

 11月号の感想で「イクミちゃんと出会ったときのみやちゃんの反応がかわいい!」とお手紙を出した私。そのみやちゃんの「おー!」という反応は、実は担当さんのお気に入りでもあったそうです。先生のお宅の近所にみやちゃんより半年だか1年だか先に生まれた女の子がいて、その子の発達段階を参考に描かれているのだそうです。平均的な2歳児はもっとしっかりしゃべるのだとか(育てたことのないめるにはわからない…)。でもあのみやちゃん語がこれまた担当さんのお気に入りで、まだまだたどたどしいおしゃべりを続けているのだそうです。航太が進学のことを考え出して、その方向を具体的に選択して…と成長していくぶん、みやちゃんも大きくなっていくわけですが、やっぱり今の愛らしさは捨てがたいですよね〜!

原稿は大事というはなし。  2003年10月31日

 トム・ソーヤ島で一服しながら、何がきっかけでそういう話になったのかよく覚えていないんですけど、先生が原稿をとても大切にされるという話を伺いました。打ち合わせの喫茶店で担当さん(今の担当さんに限ったお話ではないと思うのですが)にチェックしてもらう時なんかは、担当さんがあまりにも無頓着に原稿をテーブルに広げるので、まず先生が水だのカップだのをよけて広い場所を作り、おしぼりでテーブルを拭くのだそうです。予告カットの原稿を封筒に入れるときも必ずプラケースや下敷き状のものを入れて折り曲げられないように配慮されるのだとか。私など素人ですから、原稿を曲げないとか汚さないというのは当たり前のことだと思うんですが、担当さんに言わせると「河先生は神経質」なのだそうです。それはちゃうやろ!と思いっきりツッコミ入れてしまいました。そういう配慮はむしろ編集部側がすべきじゃないんですかね?
 今は著作権とか版権とかなんだかんだありますが、昔は今ほど厳しくなかったようなんですね。出版社に原稿を預けたら返ってこないこともよくあって、先生の手元に全ページ揃っていない作品もあるんだそうです。たとえば昔の作品の全集を出すような話になったとき、ページの写りが一部悪いものがあったら、それは昔雑誌等に出したときのフィルムから起こしたページ、線がガタガタ揺れていたら昔の雑誌を素人さんがトレースしたページなのだとか。
 この問題が表面化したのが弘兼憲史氏の事件ですよね。まんだらけは儲け主義で責任逃れ、出版社もいい加減な対応に終始して、過去の事件は解決しそうにありません。作家に原稿料を払った時点で権利は出版社にあるとかいうふざけた輩もいるようで、もうアメリカみたいに微に入り細に至った契約を交わさなければいけないようです。そんな難しい時代に作家の生原稿をないがしろにする河先生の担当さん、いいかげんな扱いで汚しました、なくしましたってことになったらどうするおつもりなんでしょうね。世の河ファンが黙っていませんぞよ。

ミーしゃんにかじられた傷と記憶力のはなし。  2003年10月31日

 河先生と合流してわりと早い時期に、傷だらけの腕を見せられました。カサブタになりかけのまだ生な傷。ミーしゃんの庭に他の猫が入ってきて、箱入り娘なのになわばり争いをやらかしたそうです。その仲裁に河先生が入って2匹を引き離したら、興奮して見境がつかなくなったミーしゃんが先生の腕を抱きかかえるかたちで爪をたてるわかみつくわ。「昨日まで包帯巻いてたんですよ」という先生の腕はホントに痛々しいのひとこと。ところがそんな傷なのに病院には行かず、家で適当に消毒していたのだとか。「ちょっと気になるのは破傷風なんですけどね、以前資料で調べたときの記憶ではもう潜伏期間が過ぎてたから大丈夫だと思って」と先生。…ん?昔の資料って『さびたナイフ』?あんな20年以上も前に調べたことを覚えてるんですか!?と目をむくと「あの病気の症状や特徴は印象に残っていたから」と…。すごい記憶力!私なんかもっと最近授業で習ったけど、もうすっかり忘れてます。潜伏期間なんて…。脱帽〜。